坂越牡蠣の歴史
2021/05/09
ここ赤穂市・坂越湾での牡蠣養殖は、昭和49年(1974年)に始まったと言われています。
坂越に続いて相生市・相生湾では、昭和53年(1978年)に、たつの市・室津地区では平成10年(1998年)から牡蠣の養殖が
始まっています。
兵庫県の牡蠣養殖の主要産地は室津・相生・坂越となっています。
とはいえ、広島や宮城、岡山に比べればその歴史は浅く、生産量も少ないんです。
牡蠣養殖が始まる前、坂越の漁師たちは巾着漁(きんちゃくりょう)やサワラを獲る「はなつぎ漁」をしていましたが、
ある年をさかいに漁獲量が激減。何か他の可能性を模索し、牡蠣養殖に辿り着いたとされています。
漁にいき、漁のシーズンが終わる頃に牡蠣のシーズンが始まる。そのサイクルを繰り返しながら、牡蠣筏が2台から4台。
4台から6台と牡蠣養殖を始める漁師と牡蠣筏が少しづつ増えていきました。今では168台と規模が大きくなり、生産量も
増加しつつあります。
坂越湾の穏やかな潮の流れと、清流・千種川という二級水系の本流が側に流れているため、ミネラル豊富な伏流水と合い重なって
牡蠣の餌となる植物プランクトンが豊富な清浄海域となっています。これらのことから、偶然ではなく必然的に「坂越の牡蠣」の
品質にを生み出しているんです。
知ってか知らずか、牡蠣養殖に辿り着いたことは、この坂越の漁業の歴史において最も開進的なことだったのかもしれません。
今こうして牡蠣の養殖を営めているのも、先人の坂越の漁師の方達が、可能性を模索し、研究と努力を積み重ねてきたからだと思います。
私たちはこれからも「坂越ブランド」の伝統を守りつつ、繋いで行かないといけないですね。